Chilly solution to neutrino mass problem

http://physicsworld.com/cws/article/news/37476
ニュートリノ質量測定実験の新しい提案を紹介した記事。ニュートリノ単体の質量を測定するため、超冷却した3重水素(陽子1つと中性子2個を持つ水素原子の同位体)のベータ崩壊を利用する2通りの方法を提案する。単独のニュートリノ質量の直接測定には3重水素を用いた実験が行われており、その別の物理プロセスという位置づけのようだ。KATRIN(KArlsruhe TRItium Neutrino experiment)というドイツにある実験装置では、3重水素ベータ崩壊
{}^3H\rightarrow {}^3He+e^-+\bar\nu_e
から生じる、始状態の3重水素と終状態のヘリウム3と電子(e^-)のエネルギー差がニュートリノのエネルギーと保存則から導かれることから、つぎの考え方でニュートリノ質量に換算する。もし、ニュートリノの質量がゼロならば、ニュートリノのエネルギーの最低値には限界値がない。というのは、運動量がゼロであったとしても、質量の分だけ最低値が押し上げられているはずだから、質量ゼロならエネルギーはゼロまで分布する。逆に考えれば、電子が持つエネルギーの最大値には閾がないともいえる。つまり、電子のエネルギーを正確に測定することで、ニュートリノが質量を持つことで得られる崩壊振幅とゼロとして予想される理論値にずれが生じるはず。そのずれがニュートリノ質量として導かれる。それで、最近のKATRINの結果では電子ニュートリノ質量の上限値は
m_{\nu_e}<0.2\,{\rm eV}
が得られているだけで、はっきりした値は分かっていないのが現状。

ここで紹介されている論文は、電子を取り込んだヘリウム3原子として観測すればより高精度でニュートリノ質量に換算できると主張している。さらに、別のプロセスとして、ヘリウム3イオンと電子線を観測すればより高精度で測定できると提案している。ただ、この観測には運動量を極限まで抑えた3重水素の原料が大量に必要とされる点が現実的に乗り越えるハードルだという。

ニュートリノ質量の測定には、素粒子理論家は勿論のこと宇宙物理の分野でも注目されている。素粒子理論家の専らの関心は、いかに「標準模型」の矛盾を問い詰めてそれを超えた新物理の発見に繋げるか、にある。ニュートリノの質量はゼロとして標準模型は構成されているが、この仮定は1998年のスーパーカミオカンデ実験の研究発表から成り立たないことが明らかにされてしまった。この結果は、理論屋に標準模型の拡張を要求するが、実は単純な拡張では納得のいく説明ができない深遠な物理を含むと考えられている。標準模型ニュートリノ質量をゼロとして矛盾のない結果を出していたのは、もちろんニュートリノ質量が非常に小さかったからなんだけど、一つのカイラリティしを持つニュートリノしか見つかっていないことが大きい。フェルミオンと呼ばれるスピン量子数1/2をもつ粒子群(電子よクォーク)は、質量を持っていると右巻きと左巻きという2つの性質(カイラリティ)を伴って現れることが対称性から要求されている。標準模型では、粒子自体の質量というのは、いまだに発見されていないヒッグス粒子というスピンゼロの粒子との相互作用の結合定数として表されると予想する。粒子が質量を持つということは、標準模型の言葉でいえば、背後にあるヒッグス粒子と相互作用しながら運動していくため、その分光速度より小さい速度で移動する。相互作用が小さいほど早く移動できるが、質量がゼロでない限りヒッグス粒子との結合によって光速度より落とされる。こういった物理機構をヒッグス機構と呼ぶ。で、さらに、標準模型はヒックス粒子との相互作用する粒子のカイラリティを制限する。ヒッグス粒子左巻きから右巻きへ(もしくはその逆)という順番でしか結合できないと考えられるため、ニュートリノ質量があれば右巻きニュートリノはなければならないが、なぜかそれは見つかっていない。

単純な拡張形としては、右巻きニュートリノはそもそも他の粒子と相互作用が極端に小さい(トップ粒子と比べて12桁ほど小さい)という形があり得るが、素粒子理論屋はそもそもこういった極端な例外を嫌う傾向があるため、ほとんどの人は支持していない*1。べつの拡張形として、物質と反物質の区別がニュートリノに関しては成り立っていないという説がある。物質・反物質が同じ粒子と考えれば、少なくとも理論的には実験事実との整合性を保つことができると同時にニュートリノがなぜに他の粒子と比べて質量が小さい(ヒッグス粒子との相互作用が小さい)かの説明もできてしまう。仮にニュートリノと反ニュートリノが同じ粒子としても、ニュートリノ電荷を持っていないのだから対称性を破らない。しかし、物質・反物質の区別がないとすると右巻き・左巻きの粒子の質量は同じである必要性はなく、標準模型(ヒッグス機構)では説明できない質量スケールMの自由度が新しく現れてしまう。ここで発想を逆にして、そのスケールMを右巻きニュートリノの”質量”と定義し直して、しかもMを極端に大きいと考える。左巻きニュートリノは他のフェルミオンと同程度の”質量”mを持っているとしながら、観測される左巻きニュートリノの質量(この場合はヒッグス機構で決定される)は小さいと説明できる。ここで用いるトリックは量子力学で出てくる不確定性原理だ。まず、左巻きニュートリノヒッグス粒子と相互作用して右巻きに移る。右巻きニュートリノが極端に重いのだから、一見エネルギー保存則が成り立たないように見えるが、不確定性原理では
\Delta t\sim h/(2\pi\Delta E)\sim h/(2\pi Mc^2)
hプランク定数)の時間間隔ではエネルギーは決められないのだから、\Delta tの時間に(仮想的な)右巻きニュートリノが現れたとしても問題はない。すぐに左巻きニュートリノヒッグス粒子を介して結合するという筋書きだ。ヒッグス粒子と相互作用する間隔はMに反比例して小さくなるのだから、右巻きニュートリノが極端に重いためヒッグス機構を通して左巻きニュートリノの質量は極端に小さいんだといえる。他のフェルミオンと比べて右巻きニュートリノが一瞬しか飛ばない分軽くなっているともいえる。このような機構をシーソー機構*2といい、またこのとき、ニュートリノはマヨラナ型、他のフェルミオンディラック型と呼んでいる。シーソー機構で予想される重い右巻きニュートリノは、その大質量ゆえに宇宙初期のような超高温状態で生成されすぐに物質・反物質に崩壊したと不確定性原理から予想される。ニュートリノがマヨナラ型だと、反物質の区別はないんだから確率的には同程度に物質・反物質に崩壊すると考えられる。しかし、宇宙が冷えて右巻きニュートリノが真空から生成できなくなったときに、崩壊して生じた物質・反物質の確率分布に偏りがあったとしたら、物質が結果的にこの宇宙を占有し、この宇宙に反物質が少ない理由を説明できるかもしれない。これは、素粒子理論と宇宙物理に跨るバリオン数非対称性の問題の解決につながる可能性を孕んでいるたりするので、そういう意味で、観測されるニュートリノの単独質量がどの程度に納まっているのかは異なる分野から興味を持たれている。

ニュートリノがマヨラナ型であることの実験的検証には、3重水素の非ニュートリノ2重ベータ崩壊が知られている。普通のベータ崩壊では中性子が電子と反ニュートリノにウィークボゾンを仲介して分かれるが、以下のファインマン

にあるように、マヨラナ型は反ニュートリノニュートリノの区別はないから、2つの中性子からニュートリノが仮想的に現れて電子のみに崩壊する過程もあり得る。もし、3重水素の2重ベータ崩壊を観測してニュートリノが現れていないことが確認できれば、それはニュートリノのマヨラナ性を証明できたことになる画期的な発見となるが、まだそのプロセスは観測されていない。ただ、ニュートリノの単独質量を測定しておくことは、この手のプロセスを確認するためには必要不可欠な情報となるので、KATRINなどの実験は重要である。

*1:もっとも自然界が支持しているかどうかは別。理論的に美しいからそれが物理的に正しかったということは、じつのところほとんど例がない。CP対称性の破れはいい例。

*2:シーソーのように片方が重い(下がり)と片方は軽く(上がる)なるから