宇宙のランドスケープを読む

宇宙のランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す

宇宙のランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す

宇宙のランドスケープ(景観)とは我々が暮らす宇宙空間はメガバース(小宇宙の巨大な集まり)のほんの一つにすぎず、別の宇宙には我々が知っている物理法則とは全く違った世界が広がっている可能性があるという壮大な考え方。著者のサスキンドは素粒子論一般に広く知られた有名な弦理論学者。(実はstaggeredフェルミオンと呼ばれる格子QCDではよく使われるフェルミオン形式を提唱した人もこの人。昔の弦理論学者は他の分野にも名を残しているいい例。)

数式で語られるべき素粒子論の解釈として哲学的な意味合いを持たせたっぽく見えるが、実は弦理論の研究結果に基づいて演繹していくとランドスケープというシナリオが最も観測結果を説明できると著者は強く主張している。

そのシナリオとは、簡単には以下の通りだ。
弦理論は本来10次元で整合性を保つ理論となっているため、我々の住む4次元(時間+空間3次元)の物理を記述するには、余分な6次元分はコンパクト化と呼ばれる方法をもってして観測できない領域(プランクスケール、10のマイナス33乗センチメートル)に押し込めていると考える。しかし、この考え方で突き詰めると幾何学的に許されるパラメータ(数学用語ではモジュライと呼ぶ)は10の500乗という巨大なパラメータ空間を予想する。つまり、10の500乗個の宇宙を弦理論は予想しているのだ。ここでとる道は、弦理論を単なるモデルとして切り捨てるか、これが真実として受け止めさらに考えを飛躍してゆくかの選択しかない。サスキンドらは後者を選び、逆にランドスケープを考えれば懸案問題も解決の方向に向かうのではと主張している。要するに、我々の宇宙は10の500乗から選ばれた一つにすぎず、数ある物理パラメータがなぜ知られた値をとっているかを問うことは無意味である。なぜなら、それは数ある可能性の一つにすぎないのだから。これが所謂人間原理と呼ばれる考え方。

弦理論を捨てきれない理由は、この理論に対抗出来るほどの理論が知られていないということが挙げられる。重力はアインシュタインが20世紀初期にほぼ完成された形で体系化に成功して以来、観測結果と矛盾はなく疑う人はいないと思うが、これを高エネルギー領域では途端にやっかいな代物となってしまう。重力相互作用が広く知られた場の理論の体系では繰り込み不可能となり、物理的な結論を得ることが出来ない。ということは結局、標準模型は低エネルギーの物理しか扱えない有効モデルであり、重力を含んだ究極理論はすべての粒子(クォーク、電子、ヒッグス(?)...)を含んだ体系をしていることを示唆すると考える。弦理論は実はそれができている(ように見える)。ものの考え方として、すべての粒子は点ではなくヒモとして考えて場の理論的に構成していくと、重力(子)が自然に現れてしまう。もちろん他のよく知られた粒子自体も異なった振動モードとして内包されているので、即ち究極理論の候補としての必要条件は満たしたこととなる。ただ、それが10次元でなくては理論が破綻するという問題(逆に著者はそれこそが本質的だという)は残ってしまったが。。

この理論自体はプランクスケール(10のマイナス33乗センチメートル)の世界なので実験的には反証不可能なんだけど、実は宇宙観測することでかなりのダメージを得てしまっている。宇宙初期のビックバン時代の名残である宇宙背景放射の観測結果は、宇宙定数が正であることを確かめたことは記憶に新しい。実は弦理論は負の宇宙定数を予想していたため(厳密にはマルダセナ予想から導かれる4次元世界を現実とみた場合)、この観測結果は弦理論が単なるおもちゃであったのではという気運が高まってしまっている。(単にふりだしに戻っただけだが)

サスキンドはこの結果は人間原理的にはありえるという。つまりは宇宙定数が正である物理法則が支配する世界に我々はたまたま住んでいただけのことだと。

人間原理は物理的な予想というものは恐らくできそうにもない。ただ、現実世界にメガバースなるものが存在したとすると、それを原理的には確かめることは可能だという。ブラックホールは相対論が予想した暗黒天体であり銀河中心部に存在する超高密度天体だが、この中心部の特異点は並行宇宙と繋がっていると考えるらしい。つまり、地平線(外側は光も脱出できない領域)を超えた世界はもはやエンドオブノーリターンなので我々がその後の経過を知るすべはない。しかし、サスキンドらが提唱したホログラフィック原理によると、ブラックホールに落ちた者たちの情報はホーキング輻射として我々は観測することができるいわば伝言のような役目を果たす。この輻射を何らかの方法で読み解くことが可能となれば、地平線の向こうの世界を見ることだって可能となる。宇宙の地平線とブラックホールの地平線は同じなので、隣の宇宙を知りたければブラックホールを観測しホログラフィック原理に基づいた観測装置を開発すればいいだけの話だ。ただ、そんな変換機の設計図までは教えてくれるほど親切ではないみたい。(神にでも聞けってこと)

サスキンドの主張は話としては面白いけど、世界観というか形而上の世界に近い。それをどう解釈しようが構わないけど、物理としては扱うことは難しいでしょうなあ。物理として成り立つためには万人が納得できる客観的事実(論理としてもいい)を必要とするため、人間原理に立つことは言わば物理屋が匙を投げる行為に近い。弦理論を突き詰めて我々の宇宙がユニークとなるべき数学的証明を探す方がまだ物理っぽく思えてくる。