ポアンカレ予想を読む

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者

ポアンカレ予想と言えば、門外漢には2007年のフィールズ賞受賞者にノミネートされながら辞退したペレルマンが有名だが、実はその受賞を軸としたとき、過去にも未来にも様々な人間ドラマがあったことに感動を覚おぼえた。数学は抽象的な対象を数少ない公理から出発して数々の定理を証明していき、一つの論理体系として形作っているが、結局のところそれらを考えるのも、使うのも人間なので、物理なんかと比べると人間味が色濃くところが面白い。

数学者は物事を厳密かつ一般的に記述することに、まさに人生をかけて挑んでいる人たちという感がある。そのてん物理学者はいい加減さが目立つ。ある理論体系があったとき、それがある精度では実験事実を再現していたが、より精密測定を行ったところ食い違いが現れたため、理論の変更を余儀なくされることは物理の世界では日常茶飯事だが、数学は一旦定理が証明されれば、未来永劫つねに正しい。そのため数学では、物理学者がよくやるようにパラメータを勝手に手で入れたりすることは、論理的にみてご法度なのだ。
各分野の違いををうまく反映している有名な話がある。天文学者と物理学者と数学者がスコットランドに旅行した際、列車の窓から見慣れぬ一匹の黒い羊を見た。それぞれはこう言ったという、
 天文学者:「この地方の羊はすべて黒いのか!」
 物理学者:「いや、この地方には黒い羊もいるということだ。」
 数学者 :「思うに、少なくともこの地方のあの羊の我々が見ている一方が黒い羊といえる。」
数学者の厳密性に対する不自然なまでの態度がオチとなっているけど、むしろ天文学者の態度に思わず頷いてしまう。それぞれの結果に対する評価の論理的厳密性は、
  天文学者 << 物理学者 << 数学者
だが、一般人のうけのよさからいくと皮肉にも
  天文学者 >> 物理学者 >(”〜”かも) 数学者
となってしまうとこが現実。一般人にとっては直観に訴える方が理解しやすいと思ってしまうものなので。

最近の弦理論の発展は数学の世界にも発展を及ぼしていて、よく知られた例ではザイバーグ=ウィッテン方程式という代数幾何(!トポロジーではなかった)の分野で重要な発見となったことがあげられる。(その功績によりフィールズ賞ウィッテンに受賞されたが、彼が数学者のいう厳密な証明を行ったのかで意見が分かれる。)

トポロジーと呼ばれる(当初は位置解析と呼ばれていた)ポアンカレが開拓した新しい分野もその一つ。で、そのポアンカレが証明できなくて予想として提唱したのが後に言われるポアンカレ予想。一分野を開拓した偉大な人は問題を提起しただけでも名前が残ってしまうのだ。ポアンカレ予想とは
 『閉多様体の基本群が自明であればその多様体は球面と同相である』
ポアンカレ自身ははじめ『3次元球面と同じホモロジー群をもつ3次元多様体は3次元球面と同相である』と大胆に定理としてぶち上げたが反例"ポアンカレの正12面多様体"を見つけてしまい大恥を掻いてしまったという。)ということで、定義もなくこう言われてもさっぱりだが、イメージとしては周期的境界条件をもつ空間内にループを作ったとき、それが1点に丸められるかどうかということらしい。ドーナッツのように穴があいた表面(この場合は2次元空間)にいた場合は穴に引っ掛かって戻れないので、(2次元)球面と同相とは言えない。ループの巻きつかせ方で空間(多様体)を分類していった場合、自明な基本群をなすものは球面しかないという。基本群はこの場合は、巻きつき方で分類された多様体の集合(トーラスでは穴を通ったり通らなかったりする右巻き左巻きのループ回数の2組の数)。自明な基本群とは、数の掛け算でいえば1、足し算でいえば0、しかない群のこと。その群の任意の要素(元)に演算(+や×)を施しても自分自身に戻ってしまう元しかない集合、0+0=0など、のこと。ポアンカレ予想ではループの巻きつき方が1つしかない多様体は球面しかないという。ホモロジー群とは穴の数(ベッチ数)とねじれ係数(メビウスの帯のような形)で表された??%A