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人工生命―デジタル生物の創造者たち

人工生命―デジタル生物の創造者たち

生命とは何か。いままで『生命』についての明確な定義はなされていなかった。それは、つまり、『生命』といったときイメージするのは有機体で構成された、自己複製・修復し、環境と相互作用することで適応能力を獲得し成長する物質組成、であって然るべきという既成概念と、生命現象の神秘性は何者にも変えがたいという一種の固定概念が支配していた結果であると思う。

では、しかし、果たして有機体ではなくデジタル信号で書かれたプログラムであっても、同じように『生命』と呼べるかという問いはフォン・ノイマンのような機械論者が提唱してもなお、実際にそれを実証しない限り万人に納得できる形で証明することは不可能だった。フォン・ノイマンはそれを実証するためにオートマトンモデルを提案し、原理的にはチューリングマシンのようなシステムを作り上げれば、オートマトンに『生命』を吹き込むことは可能であることを示したことは有名だ。それをさらに洗練した形に作り上げたのが、かのウォルフラム。
セル・オートマトンとは、空間を格子状に分割したとき辺同士で囲まれる空間をセルと呼び、隣り合ったセル同士に簡単な規則(例えば、0と1を生と死に分類し、0で囲まれると間のセルは死ぬ)と時間ステップを設けることで、セルが時間に対して複雑系を成す事が出来るかをシミュレートするモデルのこと。ウォルフラムは、1次元セル・オートマトンをランダムな配列から出発して時間発展させていったときの全体の振る舞いを4つのクラスに分類して見せた。
 クラス1: 全セルが死滅するか、生き残る。
 クラス2: 安定した状態。生と死が周期的に現れる。
 クラス3: 全くランダムに生と死が現れる。
 クラス4: 上記以外。秩序だっているように見えるが出現が複雑。
このクラス4は、スピンモデルなんかで知られている2次相転移現象とよく似た振る舞いであることを具体的に示したのがラングトンで、彼はセル・オートマトンのシステム全体の力学系の強さを表すパラメータλ(スピンモデルで言うならスピン間の結合定数)をモデルに導入して、その連続変化を見てみるとλのある点を境にして、周期的な振る舞い(クラス2)からカオス的な振る舞い(クラス3)へと移るスポットがあることを発見した。このスポットがクラス4に属する、いわゆる複雑力学系とよばれる状態に相当する。全体系が著しく変わる点、すなわちセルの相関が系全体に広がってしまうスポットがセル・オートマトンを初めとする自己組織化を示す生命モデルに特異的に現れる特徴。

複雑系と生命現象は色々な点で似た振る舞いをしているように見えるため、一部の人たちが熱狂的に研究を行った。例えば、自己組織化。生命現象はエントロピー保存の法則に一時期は逆らう形で、自己を秩序だてていくように見える。つまり、50億年前の原始地球における有機物が混じった原始スープの状態(無秩序)から単細胞動物→無脊椎動物脊椎動物のような、自分自身と外部を分離する細胞壁を形成して、核にあるDNAにしたがって蛋白質を構成し分裂・増殖していく生命システム(秩序)が出来上がったことは明らかに無秩序→秩序状態へ遡っている。すなわち自己組織化は生命現象の解明には重要なキーワードなんだけど、実はセル・オートマトンでも不思議なことにあるセル同士が組み合わさり、まるで組織だった振る舞いをクラス4において行う。ラングトンは、また、自分自身を増殖していくループと呼ばれるセル・オートマトンを実際にプログラムして見せることで、生命体のように子孫を残して自分は死んでいくようなシステムをセル・オートマトンのような簡単な規則を持ったセルが複雑な生命現象を再現しうることを促したのだった。これは、逆に考えると『生命』とは局所的に見て簡単な規則が全体的に見ると複雑に見えているだけではないかという推測も得られる。実際DNA自体はA, G, C, T4つの化学物質の組み合わせで成り立っていることがワトソン・クリックの2重螺旋構造の発見を初めとする分子生物学の発展で明らかになったけど、機械論的に見ればまさにDNAはセル・オートマトンと同様の体系をとっていると見ることができる。

では、セル・オートマトンは進化の歴史を解き明かす鍵となり得るかといえば、そこは曖昧な点があると数多くの人工生命に携わっている研究者はいっている。モニターの中で自己組織化を果たし、増殖し、子孫を残して消滅していく様は確かに原始生命体からヒトへの進化によって辿ったであろう様相だけど、では無限の時間ステップを繰り返していくといずれは自意識と複雑な精神構造を持つに至るかといえば、それは猿がタイプライターをランダムに打ち続けるとシェークスピア文学が出来上がるかという問いと同様全くのナンセンスだと思う。結局、局所的な環境内においては生物の進化がとったであろう道程を導くモデルになりうると思うけど、実際の進化の過程とはスケールの点で全く異なっている。環境適応能力の獲得が相互作用によるものならば、相関は少なくとも地球全体のスケールまで広げなければならないため、それを計算機でシミュレートすることは原理的に不可能だから。

ただ、レイノルズが行ったボイド(鳥に見立てたシンボル)が実際の鳥のような群れの行動を起こす(例えば障害物があればそれを回避してまた群れに戻る)ことは驚いた。実際にボイドに施した規則はたかが3つしかない。
 1.群れの重心に向かう
 2.隣のボイドと同じような速度を保つ
 3.隣のボイドと距離を保つ
これらの近接的な規則で群れの行動のような大規模な振る舞いをシミュレート出来ることは、こういったセル・オートマトンの応用が多岐にわたる可能性を秘めている気がしてくる。

もう1点面白いのは、プログラムを自己組織化させることで、環境の変化(例えば接続されるハードウェアの違いとか、コンピュータウィルスのような悪質なコード)に強いプログラムが出来上がるのではないかという試み。一般的にコンピュータプログラムはガッチリとプログラマーによって組み立てられていて、1行1文字の違い(バグ)で全く動かなくなることはよくあるが、自己組織化・創造するプログラムは予め不完全体(END指定子がなかったり、部分的に欠けていたり)から出発する。ただ、このプログラムに迷路を解かせてみて、何回かの試行ステップで先に進めたプログラムは増殖して、次の段階に進む命令を含ませている。このようにして何世代かを経た結果、最適な解を導くことに成功するという。実際その過程を経て得られたプログラムと人間が考えた数学的アルゴリズムとほぼ互角の結果を得られた事例も存在している(ジョン・ミュアの迷路)。この計算過程を遺伝的アルゴリズムと呼び、主に多数の組み合わせ最適解を得るために使われる。このアルゴリズムに重要なのは、進化論でよく言われる自然淘汰のための突然変異よりも、敵対する相手の存在と遺伝的伝達だという(むしろ突然変異のような次世代へのコピーの段階で介入する不連続性はかえって妨げになるという)。つまり、競合相手と共存しながらお互いに世代を介して進化していく環境がこのプログラムを成り立たせる大きな因子ということ。よく知られているように囚人のジレンマと同じ結果が生物界にも存在する。すなわち、『裏切り』行為をして自分だけ利益を得るより『協調』して利益を分配し合う方向に向かっていく。遺伝的アルゴリズムにおいて、この協調行為が生き残る最適戦略であることが示されている点が興味深い。

こういった遺伝的アルゴリズムはSF的な見方をすれば、デジタル信号で構成された人工生命体(プログラム)が進化していずれ人間の手に負えない存在になるかもしれない、と不安が横切る。現実のウィルスのような、プログラムの断片(サブルーチン)しかなくても、宿主のプログラムに寄生して密かに増殖を繰り返した後、ネットワークを介してすべてのコンピュータに伝染していくような新種のコンピュータウィルスが存在できるかもしれない。このような進化の可能性もありえる事が実際のシミュレーションで現れていることにも興味を引かれる。トム・レイが行ったテストは、コンピュータのCPU資源を奪い合うシステムで、ティエラと呼ばれる、ある命令群によって構成されているプログラム群が占めており、どのティエラが長く行き続けるかというもの。いくらかの時間ステップを経るとティエラの中に増殖機能を持たない短い命令群を持つティエラが存在し始めたという。これは最小限の機能のほかに大型のティエラからプログラムを拝借して生き延びる、まさに寄生プログラムが現れたのだった。ここである誘惑との葛藤を禁じえない。果たしてこういった遺伝的プログラムを一般のネットワークに放した場合、どういった進化を遂げてくれるのだろう。果たして自己認識をするまでネットワーク内で進化することは可能なのだろうか。研究者にとっては、実験施設内の遺伝子組み換え生物を生態系に解き放つ行為に相当し、倫理規制のラインを超えることに繋がりかねない危険な行為かもしれない。現代のグローバル社会においては、デジタル信号が現実の社会を動かしていることから、もしものときの影響は計り知れない。

ただ、生命の定義をプログラムに適応可能かを問う最もインプレッシブな実験でもありうる。